1埋める、取る、縮める 投稿者:此下  投稿日:2008年08月07日(木)19時35分52秒
 悪い予感がした。
 学校から家に帰ったとき、久しぶりに父親の姿を見て、しかも声をかけられたとき、どきりとした。
それは勿論ときめきの類ではなくて、母親に悪戯が見つかったときのそれとも少し違っていた。
どちらかといえば後者のほうが近いのだが。
 父親は相変わらず冷たい目をしていた。
悪い予感の有無に関わらずいつも居心地が悪くて、つい逸らしたくなる目である。

「帰ったか、俊史。」
「……はい、只今戻りました。お久しぶりです。」

 父の喋り方は、口を開くとのタイムラグが少しばかり顕著である。
まるで喋るという事が本当に億劫そうで、声までもが出てくることに対して若干拒絶しているような印象だ。
冷たい表情も手伝って、俊史にとってこの上なく会話の気まずい相手であった。
 母も妹も兄も、どちらかといえば明るい人柄で、此の父の遺伝子はどうやら母親のものの裏に隠れてしまったようで、俊史はそれをよかったと思っていた。
2投稿者:此下  投稿日:2008年08月07日(木)19時45分13秒
 とにかく、何でもいいから早く会話を終わらせたいというのが本音であったが、
父から話しかけられたとあっては会話の主導権は主に父にあった。
 何を言われても聞き流すような覚悟で、俊史は耳をなかば心の中で閉じていた。

「俊史、今日は会食に行く。付き添いなさい。」
「…………は?」

 吃驚して、閉ざしていた耳が開く。
 父の顔は相変わらず無表情である。普段と変わりない。
 父の職業上、パーティや食事会に連れて行かれたことは以前何度かあった。
しかし、ある日を期に俊史は殆どついていくことはなくなったので、ずいぶんと驚いた。

「家族でですか?」
「違う。お前だけだ。何か問題があるか。」
「……ありません。」

 父の口調が若干固くなる。元々質問や抗議をしづらい相手ではあるが、こうなると有無も言わさない。
 問題はなくとも納得はできない。ずっと存在を隠してきたのに今更何を、と言う憤りも少々あった。
しかしそれ以上に悪い予感がした。おそらくそれはあながち外れてはいまいという確信もあった。
3投稿者:此下  投稿日:2008年08月07日(木)19時52分07秒
 何かある、と思わざるを得ない。

「準備はさせてある。身なりを整えてここに来なさい。」
「――分かりました。」

 準備をさせてある、と言うことばに又不思議に思いながら頷く。此の家で父に何を言っても無駄である。
 背中を向けてどこかへ行ってしまうのを見届けてから、俊史も自室へ向かった。
 準備をさせたといわせた以上、おそらく部屋には手伝いの坂城がいるのだろうと思った。
中学生真っ盛りの部屋に入るなんてデリカシーのない、と俊史は思っていて、実は週に一回彼によってなされる掃除も快く思っていない。
家に帰ってから嫌な気持ちしかしていないな、と思いながら、俊史は苦笑した。
4投稿者:前にも似たようなHNで書いてませんでしたか?  投稿日:2008年08月07日(木)20時49分24秒
5投稿者:此下  投稿日:2008年08月08日(金)07時50分29秒
 部屋に帰って俊史はやはり驚きと疑問を隠せなかった。
 坂城はお帰りなさいませ、と丁寧に頭を下げ、萩原先生に言い付かっておりますと言って、スーツを差し出した。
 そのスーツがおかしかった。
それは俊史が今まで持っていたスーツのどれとも違っていた。つまり新品であった。
俊史が今までに持っているスーツだって、決して安物ではなく、それなりに値を張ったものである。
しかし今自分に差し出されているスーツはそれらとも又次元が違うように思われた。

 なぜ父の会食についていくだけで、このような立派なものを用意させたのだろうか。
 その疑問を坂城に告げると、

「相手方に失礼のないようにでございます。」

と当たり障りなく答えたので、とりあえずは納得するしかなかった。
 父がパーティなどに俊史を呼ばなくなって数年が経っていた。
入学式や卒業式で着て以来のスーツはやはりなじまない。どうにも着られている感じがしてしまった。
 それでも坂城がよくお似合いです、と丁寧に言うものだから、ますます作られている感じがして、
その反面自分が疑り深いのだろうか、と少し考えてしまうほどであった。
6投稿者:此下  投稿日:2008年08月08日(金)08時08分25秒
 父の職業は政治家である。もっと言うと、祖父も曽祖父も政治家であった。
 政治家と言うものが実際儲かるのか、俊史はよく知らない。しかし、少なくとも彼の家に限って言えば儲かっているようであった。
 俊史も小学校2年生くらいまでは、完全に所謂上流階級としての人生を歩んでいたように思われる。
しかし、小学校3年生の秋に、俊史の異常体質が表に表れてから、父は彼を自分から遠ざけるようになった。

 異常体質と言っても、一見は普通の人間と変わりはない。
というより、見えないものが見えるところが問題であった。俊史は霊感体質だったのである。
 実は、見えるようになったのはもっとずっと前だった。
とはいえ、死んだものだとか生きたものだとか、俊史にはよくわかっていなかったので、大して恐怖はなかった。
 しかし、俊史にはよくても他の人達にはよくなかった。ある小さな事件を起こしたのがもっとよくなかった。
特に彼の父親にはどうしてもそれが許しがたかったらしく、
俊史は小学校を転校したし、父の子供として行動することを極端に制限された。父は俊史から離れた。
 俊史は次男で、非常に優秀な長男がいたのが父には幸いだったのだろう。
7投稿者:此下  投稿日:2008年08月08日(金)08時20分39秒
 父と子の縁はあっさりと揺らいでしまったが、俊史は別に父の事を恨んだりはしていなかった。
 自分のほうが異常だと気付くまでは何が何だかよくわからなかったが、今はよくわかっている。
学校でも街中でも、よく見ると自分に見えるものの一部を他の人間は極自然に無視していることに気付いたからだ。
 隠し通せば人間関係に支障をきたさなかったし、父は何も学校に行くことまで俊史にやめさせたわけではない。
偶につまらなくなることもないわけではなかったが、俊史は人並みには日常生活を楽しんでいた。
 その体質を隠したりとぼけたりすることに、俊史は随分と慣れてしまったが、父はまだ警戒していた。
かなり厳密に彼の中で定めた一定以上のものを、俊史に与えたりはしなかった。
トラウマのようなものかもしれない、と俊史は思っている。

「…………いきなりだよなぁ。」

 そう、いきなりだった。
 父親が俊史に関わろうとするなんて、しかもおそらく仕事が関わっている場面で。
 やはり信じられなかった。
8投稿者:此下  投稿日:2008年08月09日(土)17時39分02秒
*

 車の中でも父は一言も喋らなかった。
 気になって、なるべく気付かれないよう、鏡越しに父の顔を伺っては見たが、そこに普段の無表情以外のものは感じ取れない。
 途中から諦めて、俊史は窓の外をずっと眺めることにした。
外はもう夜で、濃紺の中のネオンがどんどん流れていくのを頭に留めることもなく見過ごした。
 どれぐらいの時間が経ったかは分からないが、気付けばビル軍はとっくに消え失せて、明かりの数もぐっと減っていた。
しかし完全な住宅街と言うわけではないようである。所謂料亭と言うところだろうと見当がついた。

「俊史、もうすぐ着く。身なりをよく整えておきなさい。」

 父が始めて口を開き、はい、と返事をする。
 助手席の父に見えていたのかどうかは知らないが、俊史は少し緩めていたネクタイを締め直し、脱いでいた靴をきちんと履いた。
 もう一度体を起こしたとき、ブレーキを感じさせないくらい緩やかに車が停止した。着いたようだった。
9投稿者:此下  投稿日:2008年08月09日(土)17時50分41秒
 料亭の前には既に何人か人がいた。従業員のようである。
 彼らは俊史が自分でドアを開けようと手をかけるかかけないかのうちに、先にドアを開けてしまって、俊史は少し恥ずかしくなった。
 父は当然慣れており、出る直前で少し止まってしまった俊史を冷たい目で見ていた。
早く降りろ、と言う視線に促され、急いで車から降りる。

「先方はもう着いておられるか。」
「はい。先ほどお着きになりました。」

 父と一番年配に見える着物の女性が話している。どうやら顔見知りのようである。
 先方、とは食事の相手の事だろう。
俊史としてはその相手が非常に気になるところであったが、慣れない場面に萎縮してしまって聞く気分でもない。
 父は俊史に早くしろ、とまたもや目線で訴えかけてきた。
待たせてはいけない相手なのかもしれない。

 俊史は遅れ過ぎないように、父と大股一歩くらいの距離を取って、後に続いた。
 何があっても黙っていればいいと思った。
身構えてはいたがやはり頭は着いていけてないのが分かったし、敢えて父の顔に泥を塗るつもりもない。
 木の板と、掃除のよく行き届いた清潔な空間と、料理と酒の匂いが俊史の頭の中に広がった。
10投稿者:此下  投稿日:2008年08月09日(土)18時04分45秒
「こちらにございます。」
「ありがとう。」

 父は礼を言い――顔は無表情のままなので礼を言われたほうが縮こまってしまいそうであったが――中居は下がった。
 通された座敷に入ると同時に、父は待たせてしまって申し訳ないという侘びを入れた。
その時の口調が家族に対するものよりも随分と明るく、父の仕事用の顔をこれまた久しぶりに見たように思った。
 俊史は何も言わず頭だけ下げて父の後に続く。

 既に座敷の中にいた相手を、俊史は今まで見たことがなかった。
大柄な体つきをした赤ら顔の男で、年齢は父とそう変わらないようだが印象は全く違っていた。
父に比べれば随分と付き合いやすそうな人間にも見えた。
 しかし、俊史には寧ろその男よりも気にせざるを得ない人間がいた。

 そこにもう一人いたのは、俊史と同世代と思わせる少女であった。明らかに男の娘であった。
 俊史と同じく、よそゆきと思われる服装をしていて、化粧や髪の毛もかなり丁寧にいじってあった。
それを差し引いても十分綺麗なのだろうと思わせる顔立ちではあり、佇まいからは育ちのよさまで見えそうである。
 まさか、と俊史は思う。
 そんな筈はない。時代錯誤も甚だしい、と。
11投稿者:此下  投稿日:2008年08月09日(土)18時15分40秒
 男の職業は父と同じであった。名前は桐谷(きりや)と言った。
父の仕事の話は殆ど聞いていないので、その伝手での父の知り合いも俊史には知る余地がない。
 男が横目で少女を見ると、少女はほんの少しばかり座ったまま前に出て、名前を名乗った。

「はじめまして、桐谷セキです。」

 頭の下げ方も、声色も、すべて仕込んであるのではないかと俊史は思った。
聞けば同じ年齢であるそうだが、どうにもそうは思えなかった。
 父が同じように横目で俊史を見てくるので、俊史も改めて挨拶をしなければならない。
おそらく礼儀を尽くさなければならないのだろうが、生憎幼い時に母親から叩き込まれた程度の知識しか持っていない。

「こちらこそはじめまして、荻野俊史です。」

 と、頭を下げた。
 此の会食が何のためにおこなわれている、俊史の頭の中では最悪の想定がされていた。
悪い予感はこれに違いない、と思ったが、しかし確定はされていない以上妙な緊張感が俊史に迫っていた。
12投稿者:此下  投稿日:2008年08月11日(月)19時32分55秒
 とはいえ、俊史に具体的に何ができるかといえば、それはただ座って黙っていることだけだった。
要するに何もできない。
 話しているのは主に父親達で、セキも立場上俊史と似たようなものなのだろうと思った。
しかし、何度も述べてきたように、セキはともかく、俊史が何の意味もなく此の会食に呼ばれるなんてありえない。

 続々と運ばれてくる食事と酒。
 警戒心が解けないためか、口にしても味を意識するどころではなかった。
 父親同士は酒を注ぎあって、楽しそうに話をしている。
と言っても、嬉しそうな笑顔を見せるのは主に桐谷のほうで、俊史の父親は相槌が多い。
 俊史とセキを意識しているのか、仕事の話については殆どされていなかった。
他にきくものもないので、自然と入ってくる話で、セキについて俊史はだいたい知ることが出来た。

 やはり彼女は良家のお嬢様、と言う表現が似つかわしい人物であるという事のようだ。
 特技だの趣味だの学校だの、華々しいプロフィールを言いながら、偶に俊史の顔を見やる。
その視線がどうにも居心地が悪かった。
13投稿者:此下  投稿日:2008年08月11日(月)19時44分46秒
 その視線は、俊史に居心地の悪さだけでなく、これは間違いなく見合いなのではないかと言う確信を与えた。
より正確に言うと、見合いと呼ばれるものほど、俊史やセキに選択の権利が与えられているかは疑わしい、と俊史は思っていた。
 此の現代社会で、政治家だろうがなんだろうが、中学生で見合い、つまり結婚を意識させるなんて考えられない。
漫画か何かの出来事のようである。
それに俊史は長男ではない上、厄介な体質を持っていて、仕事仲間の娘と結婚させるべき子供ではない。
 此の事が俊史を嫌な予想からかろうじて引き離していた。

 全く目的が言われる気配のない場の雰囲気に俊史は若干苛々しつつあった。
 察しろ、といわれているのかもしれない。

 しかし、本当に父親が、セキと俊史を結婚させようとして此の場を設けているのなら、と思ううと俊史は少し怖かった。
父親にとって厄介者であり続けた自分に此の人を紹介させたことは、結婚よりももっと大きい意味を持っているように思った。
 具体的な、上手いことばが見つからなかったが、そういう予感だった。
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